創業者とサラリーマン社長

最近、私の好きな技術者、研究者が苦しんでいるということを身近に感じることがとても多くなってきました。

 

 

 

どの技術者、研究者を見ても、仕事熱心、前向き(明るい)、哲学がある、という3拍子そろっているにもかかわらずです。

 

 

 

彼らは私なんかよりもずっと優秀で仕事もできるのです。

 

 

 

でも苦しんでいる。

自分のやりたいように仕事ができていないことが原因のようです。

 

 

 

どうしてなんだろう....。自分もままならないのに、好きな人たちが苦しんでいると悩んでしまうのが私の性(さが)。

 

 

 

 

今のところ、実行力と権力のある理解者が周りにあまりいない、というが原因ではないか、と考えています。

 

 

 

彼らの姿勢に対して理解者は多い。私もその一人です。

しかし、私のような平社員は理解してあげることができても、その人が働きやすくなる環境を準備してあげるところまではできないのです。

 

 

理解者が私より若い平社員ならばなおさらでしょう.....。

 

 

結局、「利益・成果」を求めすぎる会社をはじめとした組織全般に蔓延する固有の環境と、私の好きな技術者や研究者の内に持つ哲学との間の差異がどんどん大きくなり、苦しむことになっているのではないでしょうか。

 

 

 

では、どうしたら彼らの求める環境は改善されるのでしょうか。

 

 

 

 

答えは簡単です。

 

 

 

組織で最も権限のある社長や組織長がその環境を準備してあげることです。

 

 

権力がある人は「環境」を整える力があります。

多少の反対があっても、組織のトップが「こうやるんだ!」といえばそうなるのが普通です。

 

 

加えて私の好きな研究者や技術者のもつ「哲学」を理解してあげなくてはいけません。

 

 

 

 

ところが、このようなことに関し、社長や組織長と直接話をする機会はなかなかないのではないでしょうか。組織が大きくなるほど難しくなります。

 

 

そして、何より問題は「私の好きな技術者や研究者」の哲学を理解しない社長や組織長が多いことです。

 

 

なぜなら彼らの多くは「サラリーマン社長やサラリーマン組織長」であって、「創業者」ではないからです。

 

 

私は2代目以降の社長はサラリーマン社長(もしくは組織長)と心の中で呼んでいます。

もちろん卑下しているわけではなく、トップまで駆け上がるには「政治力や人脈力」をはじめとした各種能力が必要で、それはそれで素晴らしい能力であるというのは理解しています(私には全くない能力です!)。ただ、創業者とは違うよな、と区別をしているだけです。

 

 

創業者は自らの哲学を具現化するために独立し、組織を構えるなり自らをプロとして個人で売り出すということを始めた人たちです。

 

 

この人たちは、自分の哲学がある。そして、何かを始める実行力もある。

だからこそ、創業者という私の大好きな肩書を得ることができる。

 

 

こういう人がトップにいる場合、私の好きな技術者や研究者の哲学に理解を示し、その環境を整えてくれる可能性は極めて高いです。

 

 

しかしながら、そのような人に出会うことはまれでしょうね.....。

 

 

 

そうなってくると、自分の哲学に基づいて生きるために何が必要か?

 

 

 

それはずばり、最終的には自分が「創業者」になる!

 

 

 

やはり自分の哲学を持って仕事ができる環境は自分で構築するしかないと思います。人が作った組織は所詮他人の敷地.....。

 

多少の不便は我慢せねばなりませんが、元気がなくなるほどの我慢であれば、私はする必要はないと思います。

 

 

 

リスクヘッジをしながらも、ある程度のリスクを取り、「創業者」となる。

(リスクヘッジは大切です!特に家族のいる場合は....。もちろんリスクのすべては消えないのでそこの覚悟は必要でしょうが......。)

 

 

 

 

長いようで短い人生。

せっかくなら自分の哲学に基づいて生きたいし、

それによって人生楽しみたいですよね...。