先週末、実家に帰った時に母が感極まった感じである話をしてくれました。
母の学生時代の同級生で特に仲のいい人たちで、卒業以来50年近く経った今も定期的に同窓会を開いているそうです。
毎年3月というのが恒例。
今年も、そろそろだね、という話を母たちはしていたようです。
ところが、同窓会を仕切っているメンバーの一人から母に電話が。
「Aさんがすぐにみんなと会いたいと言っている。会いに行こう。」
Aさんというのも同窓会の中心メンバーの一人。
「昨年の同窓会でも元気な姿を見せていたのだが、何かあったのだろうか?」
母はそんなことを思ったに違いありません。
同じく声のかかった同窓会の中心メンバー5人ほどでAさんのお宅に到着。
玄関には、受付のような記帳台紙が.....。
記名をして見上げると、そこらじゅうにネクタイやスーツなどが掛けてある。
物が多くて仕方ないのかな、と思いながらAさんの部屋に入ったそうです。
すると......。
そこには痩せ細ったAさんが。
6か月前にすい臓がんを宣告され、余命も6か月といわれたとのこと。
もう、時間が無い。
そんな気持ちがみんなに声をかけた動機だったようです。
Aさんはこう言ったそうです。
「玄関にある、ネクタイやスーツ、もしよかったら持って行ってほしい。」
過去に恩師からもらったものを身につけることで、その人から守られているような気持になった、
というご自身の経験からの提案だったそうです。
母は、スーツやネクタイは自分では使わないので、本を数冊もらってきました。
そして、後になって玄関に置いてあった記帳表は、誰が来てくれたのか記録しておくことで、 後にお礼をしたいというのが目的ではないか、と母は考えたそうです。
この話をした後、母は言いました。
「自分もいつそうなるかわからないから、とても不安になった。」と。
これを聞いた私は母に言いました。
「それはとてもいい経験をしたと思うよ。
”死”というのは誰しも平等に必ず訪れる。
人生という時間は有限なんだよね。
苦しい事、悲しい事を耐えたり乗り越えたりしなくてはいけない時もあるけど、
自分の限られた時間を精一杯、楽しく過ごすことこそ必要なのではないのかな。」
実は、私も日々この”死”に対する不安に駆られています。
当然、このブログをご覧いただいている皆さんにもそういう方がいるかと思います。
私は、自宅での時間、家族との時間、会社での時間、趣味の時間といったすべての時間を大切にするよう心掛けています。
心が乱れて時間を浪費してしまうこともあります。それでも、反省して時間を大切にするよう自らを姿勢を改めるようにしているのです。
自分がいなくなっても、自分が存在していたことを家族や日本のどこかの方に認識していただけるにはどうしたらいいのか.....。
そして、自分という存在の証拠を残すには......。
これが作家として歩み始めたきっかけの一つなのです。
作家としての出発準備をしている1年ほど前、自分史や家族史の本の製作を請け負う「株式会社 ジュディプレス の高橋厚人社長」とお話しした時の、社長のお言葉。
「私の夢はですね、お墓の無い未来です。石を拝んでもその人がどのようなことを考えたか、どんな人だったかなんてわからないでしょう。自分のことを書いた本があれば、それを後世にまで伝えることができる。」
この言葉は私の不安の「核心」をついている。
今でも心揺さぶられた言葉として、頭と心の中に残っています。
母との会話を通して、作家としての原点を再認識した一日でした。