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最近、巷でも「他の人の話を聴くこと」の大切さ、という話をよく聞きませんか?
聞くではなく、「聴く」です。
聴くというのは、色々情報を収集するにあたって最も意識を集中して、傾聴する状態の事を意味することが多いようです。
管理人も基本的には「聴くこと」の大切さに異論はありません。
相手のいうことをまず聴き、信頼を得る、といった旨の話は世の中にあふれていますので今更ここで書く内容ではないでしょう。
管理人は逆に、「聞き流す」と「話を止めさせる」という力も大切かと思います。
管理人が就職して間もないころ、社内外問わず聞くに堪えない説教や悪口をよく耳にしたものです。
それでも、年上というか、目上の人の話がメインだったので聞くしかありませんでした。今思っても不愉快な話ばかりです。
そんな時、ふと気が付いたことがあります。
必要以上に聴くことを我慢してもよくないのではないだろうか。
それというのも、こちらが黙って聞いていると(聴いてはいないです)延々と話し続けるのです。しかも、「納得している」と勘違いして。
これは本人にとってストレスであることはもちろん、残念ながら話し相手に対する軽蔑の念が芽生えてしまうからです。
お互いにとってとても残念な状態といえるでしょう。
ところが一方でこれはとても難しい話でもあるのです。
人は心の奥底では話すことで気持ちよくなる生き物。
管理人自身も他の人に対して「不快な思い」をさせている可能性は当然あるのです。
「書く力」をベースに論理的思考力を鍛え、文章作成能力はもちろん、交渉力、情報収集能力が改善されたことにより、自分を見つめなおす客観的視点も手に入れました。
それでも、自分自身が他の人に自分が受けてきたような不快な思いをさせていないのか、というと恥ずかしながら完璧な自信はありません。
そうしていきついた答えがあります。
「自分の本音、日常に耳を傾け、よく聴くことは間違いなく大切」
これによって、自らの言動を定期的に振り返ることができるからです。
同時にこの事は人の話をきちんと聴くためにも必要なことなのでしょう。自分のことを棚に上げているようでは、他の方に同じ思いをさせていない保証はありません。
管理人が日々痛感することです。
聴くことを、相手だけでなく自分にも実践し、自らの言動を振り返るということを定期的に行っていきたいと思います。