話の主人公はだれ?

本ブログへのご訪問ありがとうございます。



ユニバーサル技術者のShuichiro Yoshidaです。






昨日はある講演会に参加しました。



日本の宇宙開発最前線で活躍され、あのはやぶさにも関わった方。




非常に気さくで、話も上手。



プレゼンも相手をあきさせない工夫が凝らされており、プレゼン技術というだけでも非常に勉強になりました。






そして、その後は懇親会。





管理人はとりあえず講師の方の近くに行きました。


話しかけるというより話をしているところを聴いてみたいというのが目的です。





色々な会話が繰り広げられ、


「なるほど~。」


とメモをとる管理人。




ところが、あるところから違和感を感じ始めます。





40代後半から50歳過ぎでしょうか。



常に講師の前に張り付いて、



「私の若い頃はですね....」



「私は前任の社長とも交流がありまして......」



「私の経験ですと.....」





気がつきます?



すべて、



「話の主人公が自分」




なのです。そして、その多くが貯金の切り崩しである



「昔話」







年齢を重ねたサラリーマンの典型です....。





多少は自分の事を言うのはいいです。



迷惑かもしれないけれど、自社の後輩に自分の過去を話して知見を与えるというのはまだわからないではありません。

(これも、基本やりすぎはNGです)





しかし、あの場面では明らかに



「講師が主人公」



です。






懇親会では、講師からどれだけいろいろな情報を引き出し、それを自分のものにするか。



自己紹介や名刺を渡すのは最後の最後です。



まずは、その場の主人公から色々な話を引き出し、それを聴く。





それが客観的視点を持つユニバーサル技術者の姿勢でしょう。






残念ながら講師の周りにそのような人は居ませんでしたね.....。




若い方は比較的、「聴くこと」ができるのですが、

年寄りが寄ってたかっていたのであまり近づいてこなかったのかも知れません。






管理人は一つだけ質問しました。




「我々は所詮サラリーマン。生きることに対して言うほど危機感は無いのかもしれません。世界初の難しい仕事をされるモチベーションを維持できるのは、やはり失敗したら次は無いという危機感がその基礎にあるのですか?」





それに対して講師の回答。




「確かに私もプロジェクトが失敗したとしても首になるわけではありません。ただし、科学者としては常に一番であり続けないと、その存在価値がなくなるのは事実です。二番手以降は必要ないのです。」






一番でないと意味が無い。



オンリーワンで無いと存在価値が無い。






そんな心地いい危機感を読み取れた一日でした。



追伸:

その方に図々しくもお礼のメールを送りました!日本を背負う科学者を応援したいという気持ちでいっぱいです!