地道に積み上げてきたものは、何年かして花開く。
その事実に直面することが多い今日この頃です。
先日、ある国立大学から正式に非常勤講師の依頼が来ました。
今年の秋から新たに講義を持つ予定です。
久々に若い方々相手にお話しできること、楽しみですね。
そして、非常勤講師が決まるまでには当然ながら履歴書などを書きます。
その中に、
「業績調書」
というものがあります。
何を書くと思いますか?
そう、
「学術論文の掲載実績」
です。
会社で評価される、パワポの資料、特許、残業時間ではありません。
やはり大学は学術論文ですよね.....。
今、まだ2報が査読中なのですが、昨年掲載された2報を書きました。
どちらもFirst Authorです。
学術論文ではFirst Authorが論文すべてに対する実績を担える一方、内容に関し最も責任がある存在です。
本ブログの管理人が科学論文業界で尊敬する、上出洋介先生はこうおっしゃっていました。
「論文ではFirst Authorというのが最も重要なんです」
シンプルな言葉の中に多くのことが含まれていますね。
もちろん、First Authorでない論文は他にもありますが、そちらは業績調書には書きませんでした。自分が実験したとしても自分で論文ストーリーを書いていなければ実績ではありませんから.....。というか、実績として書きたくないという変なこだわりがある自分がいます....。よくわかりませんが。
数年前に地道にやってきたことがまさかこのような所で実績として評価されるとは。
会社に属していたとしても、
「個人の名前で輝くための成果とは何か」
ということにこだわって仕事をすることの大切さを再認識です。
自分の実績になるような成果を求め、高いプレッシャーをかけてストイックに仕事をすれば、結果的に所属する組織の成果にもなるのです。
本ブログの管理人の所属していた会社の管理職は比較的上記のことに関して理解していただいていたと思います。環境としては恵まれていた方でしょう。
ただ、なかなかすべてがそのような環境というわけではなさそうですね。
是非、技術者の管理職の方々にも中堅や若手の技術者が自分の名前のために成果を求めて頑張る姿勢を応援してあげてほしいものです。
どれだけ大きな会社も、必ず雇用が続く保証は無いわけです。
特に人件費の高い、40歳以上の方々は要注意です。
雇用が無くなった時、社外においては社内向けの実績は全くと言っていいほど役に立ちません。
自分が経験したからよくわかります。
大企業に勤めていたかどうかなど、ほとんど関係ないです。
見られるのは、いかにして「客観的に評価されてきたのか」というところ。
そしてさらにみられるところは、
「自分で考えて、自分を高める仕事をしてきたのか」
というところです。
言われてやってきた仕事は社外でぼろが出ます。言われないとできないからです。
また、過去の知見という貯金の食いつぶしもいつかは資金が底をつくでしょう。今の日本のように国債発行してしのぐというのは社外では通用しません。
常に貯金をし続ける、引き出す現金よりも貯金のほうが常に多い状態を作らないと簡単に存在価値を疑われてしまいます。
上記のようなリスクヘッジをするためにも、組織の名前ではなく、個人の名前での成果にこだわりたいものです。
最後までお読みいただきありがとうございました。