年を重ねるとは

久々の更新です。

 

本年一回目の投稿ですね。

 

 

最近思うところがあります。

 

 

年齢を重ねるということは基本的に素晴らしいことですし、

人間の円熟味も増し、また見えないことが見えるようになったりします。

 

その一方である程度の年齢になると自らの知見や経験に固執する、

年齢だけで上下関係を強要する、

といった弊害が生じてしまうのも事実。

 

 

もちろん人による部分もありますが、

年齢が上がれば上がるほど弊害が強く出る傾向があるのは周知なことなのかもしれません。

 

 

管理人の周りにも年齢が上の方も下の方も、

そして同年代の方も居ます。

 

 

しかし年齢が管理人と同じくらい、

または少し下くらいにもかかわらず上記の弊害が強く出る人がいるのが驚きです。

 

 

ほぼ間違いなく言えるのは弊害が出始めている人は新しいことに挑戦する、

または許容するという柔軟性を失っているという状況なので、

そこまででしょう。

 

 

こうして人は評論家へと変化していくのかな、と思うことが度々あります。

 

 

評論家というのは口ではそれらしいことは言える一方、

本当の最前線になると何もできない人のことです。

 

管理人のようなプロの技術者などはもちろん助言がメインなので助言をすることが多い。これは一人で多くの企業の相手をしなくてはいけないので、限られた時間でできることの限界がある以上、不可欠な方向性といえます。

 

しかし、プロというのは言ったことを場合によっては自分で具現化できる力があるのです。だからこそ、

 

「実務にどのように落とし込めばいいのか」

 

という「具体的」な話ができる。

 

 

年齢を重ねると実行力に乏しい評論家が本当に多いと実感しています。

 

会社を出てからよりそれが見えるようになりました。

 

 

 

その一方で管理人の周りにも管理人が是非教えを乞いたいという方はいます。

 

しかしその方々に共通しているのは、

 

自らの経験という枠にとどまらずに、管理人の状況をよくヒアリングの上、偏見のない助言を同じ目線で提供してくれる

 

そして、

 

求められていない助言は行わない

 

ということ。

 

 

実は年下にもこういう方(助言を求めたくなる方)はいますね。

 

明日もその方と夕食を食べる約束をしていますが.....。

 

 

管理人は20歳過ぎくらいの若い方と食事をすることもあります。

 

そのような方からもこちらが学べることは非常に多い。

この学びは若い方が自らの意見を堂々と言うときに得られます。

 

管理人が上から話をしていたら相手は、

 

「このオッサン、めんどくせぇな」

 

と思われて終わりでしょう。意見を言うことは無いと思います。

 

 

今後も自らの限られた経験や知見に胡坐をかくことなく、

常に高い視点で遠くを見ながら好奇心を持ち続けたいと思います。