忍耐と転換

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一般的にいわれていることですが、忍耐というのは美化される傾向があります。

 

 

 

これはもちろん仕事だけではないのですが、苦境においても腐らずに耐え忍ぶというのは時にとても重要なことについて異論はないかと思われます。

 

 

 

しかしながら、どこまで耐えればいいのか、ということについては答えはありません。

 

 

耐え忍ぶことだけでは前に進めないこともありますし、場合によっては大きく転換をすることが正解の場合もあります。

 

 

本ブログの管理人(以下、管理人)はこの転換すべきタイミングを見出すことが極めて重要と考えます。

 

 

 

転換は場合によっては「逃げる」ということと同等に扱われることがあるため、あまりいいイメージが無い場合も多いです。

 

 

もちろん、どれもこれも長続きしないでつまみ食いをしているのは問題ですが、状況は極めて悪化している、またはこのまま続けていてもジリ貧になっていくということがわかっているのであれば、耐えるだけでなく自分で行動を起こしていくことこそが重要かと思います。

 

 

 

管理人はいくつもの転換期を経て今があります。

 

 

小さいことでは部活を辞めたことやバイトを辞めたこと。

 

 

それ以外では、大学を休学して一年間のヨーロッパ企業研修に挑戦したこと。

会社を辞めたことも小さいことではありません。

 

 

 

時に、「どうしてそのような行動を起こしたのですか?」と聞かれることがあります。

 

 

答えは、

 

「自然に頭と手足がその方向に動き出す」

 

という感じです。

 

 

もちろん、後付で理屈はつけられますが、脳の底にある「動物的感性」が動き始めるのです。

 

 

色々頭で考えられているうちは、まだ耐え忍んだ方がいいとかんがえます。

 

 

そこまで追い詰められていないからです。

 

 

 

それでもいろいろ見え始めてくると、その危機感から管理人の動物的感性によって頭のてっぺんから足の先までが違うモードに入ります。

 

 

 

その時は無理せず、その自分の感性に従うつもりです。

 

 

 

この感性に従った転換という行動は、完全なる自分自身からの警告だからです。

 

 

 

 

皆さんはいかがでしょうか。

 

 

自分の頭の底、または心の底で眠っている自分の動物的感性を感じたことはあるでしょうか。

 

 

もしそういうことがあるのであれば、ご自身の動物的感性に従うべきと管理人は考えます。

 

 

 

所詮人の寿命など数十年。

 

 

長くありません。

 

 

同じ時間を過ごすのであれば、自分が望む自分の世界でのびのび生きた方が楽しいですよね。

 

 

 

 

忍耐必ずしも美学ならず。

 

 

 

 

管理人の信念の一つです。